ヨガの瞑想を深く知りたくて、坐禅を体験してきました。
鎌倉で受けてみたいなぁと思っていましたが、
座禅会は早朝が多いため都内で探してみました。
色んな場所でありました。
場所や時間のタイミングがピッタリ合ったのが、
西麻布にある
大本山永平寺別院『長谷寺(ちょうこくじ)』
表参道と西麻布の間というおしゃれな都会の真ん中に、
こんな立派なお寺があったなんて!
長谷寺は曹洞宗の修行道場があり、
毎週月曜日午後7時から9時まで『参禅会』を行っていて、
普段お坊さんが修行している『坐禅堂』で
参禅会希望者は誰でも参加できます。
座禅とは…(以下長谷寺HPより)
私たちは、生活していく中で様々な体験を通して自己が形成され、
喜ぶこともあれば、悩み苦しむこともありながら日々を過ごしています。
坐禅は、そのような執着から離れ、「無為」となり行うものです。
心構え次第では、人間の尺度や寸法を離れて、
さらに自分からも離れて、自由で広大な世界に帰入することができます。
「ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応してゆくために、
心の働きを調えることをいうのである」と解説されますが、
理屈で言い表せるものではありません。坐禅を組むことで、
心の迷いが晴れる何かが見出せるでしょう。
<私の体験記>
初心者の私は1時間ほど丁寧な説明を受けました。
今回は12名の初参加の方と一緒に、修行僧の方から
合唱の仕方、叉手(しゃしゅ)と言う立っている時や歩く時の手の位置、
足の組み方(結跏趺坐・半結跏趺坐)…ヨガでいう蓮華座や、
目線、座蒲(ざふ・座布団のこと)の座り方などの
作法など一つ一つ作法学びました。
基本的に私語が禁止で、左側通行で左足から歩むなど、
何もかも初めての事ばかりで戸惑いましたが、
外人の方も多くて、たくさんの参加者のかたとすれ違い、
坐禅に参加者の多さに驚きました。
こちらのお寺では、『警策(きょうさく)』という
いわゆる肩にパーン!と言う聖僧さまの励まし(と言うのだそう)はなく、
お願いすれば受けられるのだそう。
合唱して首を倒して右肩を空けるのだそうです。
痛いと聞いたので、せっかくですが私は励まし(?)はいただきませんでした。
約40分結跏趺坐(けっかふざ・蓮華座)でじっと座っているのですが、
ヨガのメディテーションと違うのは、
目を空けて、壁一点を見つめているということです。
初めは、座蒲を使って座ることに慣れるまで落ち着きませんでしたが、
数息観(すうそくかん・1から10まで数を数える)と
呼吸法でだんだん静まってきました。
壁一点をただただ見つめ、浮かんでは消えていく自分の中の流れを感じつつ、
受け流しながら、ただひたすら座り今ここにあることを感じていく…
何度か大海原に旅立ちそうになりつつ(船をこぐってヤツです;)
そんなあるがままの自分を感じているうちに、
長いような短いような不思議な感覚の
「只管打坐」(ただひたすら坐る)が終わり、
ふっと電気が明るくなり、お経が始まりました。
お経というべきなのか、よく分かりませんが、
文字を言葉にして追っていくうちに、
声を発することでなのか、その言葉が入ってくるからなのか、
途中から意識がもの凄くクリアーになり、
修了を示す太鼓の音が響いたときには
背筋がすーぅっと、まっすぐに自分の軸が定まっている状態で
頭の中も本当にクリアーになっていました。
私の坐禅初体験は、大海原を見たり、右足がしびれたり、
咳をしてしまったり、ヨガ指導者としては恥ずかくもありますが、
体験できた喜びは何にも代えがたいものがあります。
坐禅に興味があるかた、便利なサイトがあります。
良かったら
こちらを見てみてください。
今日も長くなってしましましたが、
こんな経験をした日はお香かなと、
友人からいただいたサンダルウッドのお香をたきながら
ブログを書いています。
合掌
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